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ようやく古巣へ戻れました(4)。 [母の事。]

立てば芍薬座ればボタン、 歩く姿は百合の花。
繊細な花弁が幾重にも重なる薄赤色の中輪ボタン
「夕焼け空」という名がタグに書いてありました。
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立っても座ってもボタンとは大きく懸け離れていた容姿の母。
前回利用していたso-netブログでは度々、私の記事の餌食にされていた母ですが
3年前の晩秋に84歳の人生を閉じました。年に4~5回は体調を崩し入退院していました。
リウマチの為、毎日体のどこかが痛み慢性的な眩暈もあって、安息に暮らせた日はなかったかと。
どんなに辛くても自分から死んでしまいたいなどと私たちを困らせる言葉は発したりしない
ところは、本当に偉かったと思う。本当に優しい母でした。
DSC00224.JPG
両腕の関節手術後そろそろ退院かと云う時期に乳がんになってしまい、神様はいないのかと
思いました。母を気の毒がって病棟の看護師さんも涙したと聞きました。
最後の数年間は、繰り返す脳梗塞で廃用性症候群となり歩くことも
出来ず痒いところに自分で手も伸ばす事も出来ず寝ていても車いすに座っていても辛い母でした。

4回目の脳梗塞で入院となり、3人の娘(私たち)孫、私の相方に囲また朝方に
一筋の涙を流した後、最後に大きな息を吸い込み苦しみから解放され穏やかな顔で旅立ちました。

担当医の計らいで歌好きだった母の耳元で、三山ひろしさんと福田こうへいさんのCDを
聞きながら、二度と眼も開けてくれず静かな静かな旅立ちでした。
そう云えば、3回目の脳梗塞で意識が回復した時に、「また、先生が助けてくれたんだ~」って
言ってたね。動けていた健側も動かなくなり辛いはずなのにって思ったよ。

母さん、今まで辛い事ばかりだったね、今までごめんね、色いろありがとう、
息を引き取ったばかりの母に覆いかぶさって泣きました。

前夫に亡くなられ一人で暮らす私を心配ばかりしていたけど、母も知っている
同級生の相方と暮らす事になった時はとっても嬉しそうな顔をして喜んでくれました。
その事が、唯一の親孝行になったような気がします。
子の幸せは親の安心に繫がりますもんね。

母と一緒に暮らして介護する妹の即戦力にもなってくれた母さんが可愛がっていた
孫は母親になりましたよ。一昨日お線香あげに行って抱っこしていると
どこか母さんに似ていて笑いながら涙が出たよ。

亡くなって3年、まだ母の人生を思い返すと涙が出る私です。

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